告白
「十年前の八月十二日、つまり、あの火事が起こった日だ」 青年は、窓辺にもたれかかる若く美しい女性を、じっと食い入るように見つめていた。 彼は今年成人したばかり――幼い頃の記憶はいまだ鮮明だ。 「要さんは記憶力が大変良くていらっしゃるのね」 窓の外は闇の世界。月も照らさぬ熱帯夜――。 優雅な雰囲気をかもし出し、彼女は可笑しくなさそうに微笑んだ。 彼女は、要と呼ばれた青年よりも、五つ年上の従姉だ。 幼い頃の記憶を、彼女もまた共有している。 ――真夏の夜の悪夢を。 「僕は見ていたのだ、千鶴ちゃん」 要はゆっくりとソファから立ち上がった。落ち着いた喋り方から、彼の育ちのよさが伺える。 一歩また一歩、窓辺に近づいていく。やがて、千鶴の背中に触れるか触れないかの限界まで、要は迫り寄っていった。 昔の思い出など――可愛らしかった少年の面影はもはや無い。 男の成長は早い。千鶴の肩までしかなかった背丈は、今では見上げられるほど。千鶴のクセのない美しい髪の毛を、存分に堪能できる。 目眩く芳しき白薔薇の香りに、要は暫し酔いしれた。 「何を、かしら? まさか私が、自分の家に火をつけるのを見た、なんておかしな事を言い出すのではないでしょうね」 千鶴は要の行動を拒む様子は見せなかった。ただひたすら冷静に、状況を見極めようとしているのだろうか。 「そうじゃない。……あの時僕の泊まっていた部屋は、中庭に面した三階の……ちょうど庭を挟んでおじい様の向かいの部屋だったのだ。パーティで皆広間でくつろいでいた時、僕は腕時計を、部屋の机の上へ置きっぱなしにしていたことを思い出したのだ。そして、電気を点けずにあの部屋へ入っていったのだ。そこで、僕は見たのだ」 「まあ……」 千鶴は、要が何を言わんとするかが理解できたようだ。ようやく彼女が振り返る。贋物の笑顔が徐々に失われ、大きく見開かれた瞳。 その視線は、要の強ばった顔に注がれている。 沈黙が続いた。 千鶴は再び要に背を向け、窓の外の闇を眺めだす。 「おじい様を、傍にあったゴルフクラブで、殴ってしまったのだ君は」 要の方を決して振り返ろうとはしなかったが、闇夜の窓に映る千鶴の顔は、確実におびえていた。 「あれは正当防衛よ。本当なのよ。私、ちゃんと話すつもりだったの。あの後階下の部屋から出火して、だって、おじい様が燃えてしまったのよ? わたしがおじい様に何をしたか、なんて誰も気がつかなかったのよ。運が良かったって、要さんはそうお思いになる? ……どの道、おじい様はそう長くなかったわ。それにおじい様が死んだことで、得をする人間が山ほどいたのよ。たとえ遺体に不審な点があったって、誰一人追及するものなどいる筈がなかったのよ。要さん、あなたを含めてね」 要は千鶴を背後から強引に抱きすくめた。そして千鶴の滑らかな首筋に二度、唇を押し付けた。 恐怖なのか悦びであるのか――千鶴は喉の奥からアアと、声を漏らす。 要は腕の力を緩めることなく、その形のよい鼻の頭で千鶴の髪を掻き分け、耳を露わにさせた。 「僕は別に得などしていない」 千鶴の耳元で、要は熱く囁いた。 崩れ落ちるのは、もはや時間の問題だ――。歳の差も、血族の枷も、嘘に塗り固められた二人の心も。 最後の自尊心を振り絞り、千鶴は叫んだ。室内中に響き渡る渾身の絶叫。 「私のお父様とあなたのお父様に、莫大な遺産が転がり込んだ筈よ! 私の家はともかく、あなたのお父様は分家でしょう? まとまった資産が手に入るのを、手ぐすねひいて待っていた筈だわ!」 「僕が金のために、今までこのことを黙ってきたと思うのか」 叫んだって、誰も来ない。来る筈がない。 「……どういうこと?」 茶番劇は、終わりだ。 後戻りなど出来ると思うな。十年という時間の重みはもはや留めることなど出来ない。 「言えると思うのか? 君のために、僕があの家に火を点けたのだからな」 真夏の夜の悪夢が、今宵再び――。
(了)